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第22回 安堵した。

小説『蒼い殻』第1話はこちら。

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 久しぶりに見た淳は、随分と衰えているようだった。

「どうやって入ったんだ?」

「どうもこうも、夜間の出入り口からふつうに入れてもらえたよ」

「へぇ、どうしてだろう」

「先が短いからじゃない?」

「なるほど、そういうことか」

 五年前よりも重く響くようになった声がぶつかってきて、レモンの入ったスーパーの袋の持ち手を絞った。しゃくしゃく、という音がいくつも重なったものの握りきれば静かになり、それ以上つかむこともできず、離したくもなく、もどかしさでふくらはぎに力が入る。

 そのままカーテンのところに突っ立ていると、視界の上のほうに淳のてのひらがぬっと入りこんだ。生命線は長いが薄い。わたしを引き寄せるだけで彼は息切れしていた。

「こうして目を見るのも久しぶりだな。何か楽しいことはあった?」

「たくさんあったよ」

「そうか」

 見透かすような目をされる。袋を受け取ろうとした淳の手を払いのけ、ベッドサイドテーブルの上に乗せた。

「純、SATはどうだったの?」

「聞かなくてもわかるでしょ。言わせないでよ」

「敵わないなぁ。マークミスでもして満点を逃したらと思うと気が気じゃなかったのに」

「心配したわけ?」

「したさ。そりゃあ」

「でも、わたしはえらくなっちゃいけないと思う」

「人をしあわせにしている悪人に罪はないんじゃない?」

「意外とそうでもないらしいよ」

「へぇ、そうなの」

「淳、お前いつ声変わりした?」

「急だね……思い出したの?」

「言いたくない」

 すると淳はまるで最初から悟っていたかのように、そう、と目尻にしわを折りたたんだ。

「残念。楽しみにしていたのに」

「くだらない。教えない」

 恥じらいのような何かが頭をもたげる。無価値であることを理解したのに、なぜわたしは放棄することができないのだろう。そろそろ脚がつりそうだ。

「でもまぁ、しょうもないと言われればそのとおりだ」

「……は」

 ばかみたいに太く息を吐かずにはいられなかった。遊ばれていたような気がしてならない。

「覚えてたわけ?」

「番町小の班長みたいな係をやってたでしょ。純は嫌がるだろうけど、可愛い東京の女の子なんて、田舎者の男子が騒がないわけがないさ」

 淳がそこに含まれているとは思っていないのに、どうも色眼鏡で見られていた感じがして虫唾が走る。わかっているなら、知らないとだけ言ってくれればよかったのに。

「『そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな』」

「なかなかトラウマになる話だよね。おれはどちらかというと盗まれたほうなんだけどなぁ」

「……いつでも返すよ」

「いやいや、構わないさ。もうおれは使えないから」

 淳はひとつ咳払いをして続けた。

「そんなところに純の罪はないよ。なぁ純、うらやましいなら放っておきなさい」

 この人は何を言いだすんだ、と思った。あなたはただわたしを許しておけばいい。

感謝と成果だけでは及ばない。だから惨めに思えて恩を仇で返すのだ。

「お説教はやめてよ」

「ごめんね。でものんきに愛してる場合じゃないんだ」

 身体じゅうの血管に熱湯を注がれたみたいに脳が膨張した。

 わたしを引き止めるものがなくなる。

「純、おれに肯定されるか否定されるか選んでくれ」

「あのさ、さっきからなに」

「最後にいいものをあげようと思ってね」

 わたしのなかにどういう形で淳を残すのかを選ばされている。淳がふつうを装えなくなったらわたしはもうここには来ない。それが迫っているということ。

 残される人の喜びも苦悩も等しく自分の人生の延長であると淳は知っている。だから彼自身の平穏が限りなく失われても淳はこうなのだ。

「否定して」

「わかった」

 あなたに、全否定されて全肯定されたかった。

「淳、わたしはもう、淳を続けるのは無理みたい」

「ならいつでもやめたらいいよ。純にないものなんてない。ただいささかほしがりなだけなんだから」

 安堵した。淳のおでこが汗ばんでじっとりと光っていた。同じだけの油がわたしの顔にものっているのだろう。わたしは人なのだ。

「あなたのおれへの気持ちが拘泥じゃないことはよくわかってる。わるかった」

 この先、誰に成るとしても、わたしは人なのだ。

「なぁ純。あなたがいちばん、かわいそうだ」

©︎Nanako Otake / Studio AOIKARA

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