1. HOME
  2. お話
  3. メインストーリー
  4. 第3回 火のないところに。

第3回 火のないところに。

小説『蒼い殻』第1話はこちら。

   2

「陽向、アイザワのこと好きでしょ」

 毎週エンドロールに出る「藍沢」を「相沢」に変換するのにまだ時間が必要だったころ。となりの席のトップアイドルは、恋愛禁止の彼女たちを追い回す記者のような口ぶりで言った。窓際のいちばんうしろの席。どうしてこうも人が集まるんだろ。

「んなわけねー」

「抜けないね、田舎のヤンキー感」

 あたしはプレスルームでもらったもののよく知らない香水を手首に乗せながら横目で見る。目つきが悪い自覚があったけれど、ここでは誰も恐れるようなそぶりを見せてこなかった。

「あたし、ここ来てまだ二ヶ月じゃん。急には無理ってことよ」

 中二のとき、写真展で金賞をとってちょっとした騒ぎになった。適当に受験勉強をしながら個展を二回ひらき、高校に入ると思った以上に身長が伸びて見栄えがよかったのか、写真の仕事が来るだけじゃなく、現実の五割増しのみっともないキャッチフレーズがついて、自分が映るほうとして呼ばれるようになった。アート系の連載やラジオが始まるととても地元の高校に毎日朝から晩までいられるような状況ではなくなり、とじた場所から抜け出す機会を伺っていたあたしは、ここぞとばかりに東京へ飛び出したのだ。

「それで、相沢とはどうなの?」

「やめてよ。誰かが誤解したら炎上しそう」

「つまんな。うちらの仲じゃん」

 トップアイドルがスタバのタンブラーの飲み口をあける。容姿からくる期待を裏切らない、甘ったるい香りがした。

「陽向って変なところだけ真面目だよね。犯罪じゃないんだしさぁ。知らないうちはファンだって傷つかないんだし」  

 だからぁ、と、続ける。

「放火されなきゃいいんだよ。気にしすぎ」

 手ぶらだったらそれでいいんだろうな、と思いながら、あたしは点対称の位置にある席を見た。

 いちばん前の廊下側の席は、黒板の前からまっすぐにうしろを見ると視界に入らない。沈黙に気圧されて首なんか一ミリも動かせなかったのに、どうやって見つけたんだっけ。

 三白眼気味の骨格が綺麗な彼女は、中三の個展の帰りにふらっと立ち寄った海で出会い、どこにも出さずにいた『対岸の大人』の標本だった。

 いまも、すみっこの席のもっとすみっこで、いつもどおり仲のいい二人と静かに頷き合っている。騒がしいあたしのところには決して寄りつかない。

 だから、「伊月さんはモデルをやってて、去年の秋くらいに転校してきたんだよ」と前の席の戦隊ヒーローに言われてはじめて、カメラが苦手だと言っていた彼女がひたすら撮られる仕事をしているということと、あのときの「ミサ」のフルネームが「伊月美沙」だってことを知った。教科書を読む声だけでももうお互いがわかっているはずなのに、あたしたちはいつまでもねじれの位置にいる。

 でも、美沙をいちばんに見つけたのは、あたしだ。

 トップアイドルはケータリングがお代わり禁止になったことが不満らしい。あんぱんはんぶんしてあげようかなと、購買に行くため席を立つ。だから美沙のセミロングも、ふわりとゆれる。

第4回:2020年10月3日(土) 12:00 公開予定

©︎Nanako Otake / Studio AOIKARA

関連記事